植木のお医者さんに教えてもらう

庭のお困り事、解決します。

樹木医師の「コンビニエンスストア」より「古墳」や「遺跡」の方が沢山ある!!

はじめに

私が住む、山陰地方は「古墳」「遺跡」が身近にあります。

近年でも「遺跡」が発掘され、それに伴う、遺跡発掘の仕事もよくあるようです。

 

私の家にも石器が数点あります。

昔、爺さんが池を作るのに庭に穴を掘った時に、庭から出たと言っていました。

どの時代の石器なのか少し興味があるので調べてみました。

 

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私の住む鳥取県は全国で5番目に遺跡の数が多い県です。全国でも指折りの小さい県土の中に1万8千箇所にも及ぶ遺跡が埋蔵されており、県土に占める平均の遺跡密度では、千葉県(1平方キロメートルあたり5,4箇所)に次いで全国2位(1平方キロメートルあたり5.2箇所)、古墳の数も全国2位です。

掘れば遺跡が出るのも納得です。

 

鳥取平野・湖山池周辺・倉吉平野東郷池周辺・米子平野・淀江平野周辺など、遺跡の集中地域では、全国的にも貴重な遺跡が多く発見されています。

 

遺跡は、古墳や城跡など一部を除くと、その多くは地面の下に埋まれており、発掘調査の時だけ地上に姿を現しましす。 

 

私の畑の隣が古墳です。

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畑仕事をしていた時、母親が見つけました。

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数年前に発見!専門家に見てもらっていないので、何かは、分かりません。

 

鳥取県東部には「青谷上寺地遺跡」西部には「妻木晩田遺跡」があります。全国的に有名、遺跡です。

 

私は中部在住なので、これの遺跡を調べれば私の石器のヒントになるはずです。

 

 

【 青谷上寺地遺跡】

弥生時代、この地は遺跡の近く間で海岸線が湾入りいて入江になっていて、船を利用してた交易が行われていました。

 

青谷上寺地遺跡は住居跡、古代人の墓はまだ発見されていないものの、弥生時代前期末から古墳時代初めの複合遺跡で、弥生時代期末~後期を中心とする集落遺跡と想定されています。

 

ここでの出土品は数万点もあり、特に頭蓋骨の中に一部だけ奇跡的に残っていた古代人の脳は国内でも初の古代人ののうとして注目されました。

 

100人分を超える人骨が見つかり、少なくても10体、110点の人骨に殺傷痕が見られ戦争の結果とみられる。

 

他にも海外からもたらされたとされる鉄器などがみつかています。

 

*青谷上寺地遺跡展示館 入場料無料

鳥取県埋蔵文化財センター 入場料無料

 

 

妻木晩田遺跡

妻木晩田遺跡弥生時代に大山山麓に存在していたといわれるクニの中心的な大集落と考えられています。遺跡は鳥取県米子市・西伯郡大山町にまたがる「晩田山広陵」にあり、遺跡の範囲は170haに及びます。弥生時代の遺跡としては国内最大級の広さをほこります。

 

これまでに発掘調査は全体のおよそ1/10ほど行われており、その結果、弥生時代中期後葉(西暦紀元前1世紀)~古墳時代前期(3世紀前半)かけての竪穴住居跡450棟以上、掘立柱建物跡500棟以上、山陰地方特有のかたちをした四隅突出がた墳丘墓などの墳墓36基や、環壕など、山陰地方の弥生時代像に見直しをせまる貴重な資料がたくさん発見されました。

 

妻木晩田遺跡弥生時代に大山山麓に存在していたといわれるクニの中心的な大集落と考えられています。遺跡は鳥取県米子市・西伯郡大山町にまたがる「晩田山丘陵」にあり、遺跡の範囲は約170haに及びます。弥生時代の遺跡としては国内最大級の広さを誇ります。 これまでに発掘調査は全体のおよそ1/10ほど行われており、その結果、弥生時代中期後葉(西暦紀元前1世紀)〜古墳時代前期(3世紀前半)にかけての竪穴住居跡450棟以上、掘立柱建物跡500棟以上、山陰地方特有の形をした四隅突出型墳丘墓などの墳墓36基や、環壕など、山陰地方の弥生時代像に見直しをせまる貴重な資料がたくさん発見されました。

 

*むきばんだ遺跡公園 入場料無料

米子市福市考古資料館 入場料無料

 

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この石斧は、昔、専門家に確認してもらったらしいです。

木の棒に括り付けて使用していたのでしょう。

写真では解かりにくいですが、先端が加工された感じが残っています。

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【磨製石斧(ませいせきふ)】

10から20㎝大の平な石のまわりを小さく打ち割り、叩いて形を整えてから、砥石で磨いて作った斧です。

大型の石斧はきの伐採に使い、小型の石斧は木に穴をあけたり、骨などの加工の際に「ノミ」のようにして使いました。

 

 

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石槍?石錘?どちらか分かりませんが、こちらも、昔、専門家に確認してもらったらしいです。

 

私は獣の皮を加工するのに使用していたのではないかと考えます。皮に穴をあけたり。

 

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【石鏃(せきぞく)】

石で作った鏃(やじり)。日本では縄文時代には主として狩猟のために用い、弥生時代にはぶきとしての矢にも使った。

 

【石匙 (いしさじ) 】

縄文時代打製石器。長さ5㎝前後で、ナイフとして使った。つまみの部分にひもを掛け、腰などに下げたらしい。

 

 

 

【磨石・石皿】

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縄文時代から弥生時代において植物質食料のなかで、ドングリをはじめとする堅果類の調理加工具とされているのが磨石と石皿。

こちらも、昔、専門家に確認してもらったらしいです。

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見た目以上にツルツルです。

 

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ちょうどいい大きさです。どっしりとした、重さです。

 

まとめ

弥生時代は日本列島における時代区分の一つであり、紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにある時代の名称です。

 

紀元前5世紀中頃からに、大陸から北九州へと水稲耕作技術を中心とした生活体系が伝わり、九州、四国、紀元前7世紀に山陰、瀬戸内にひろがったとされます。

 

大小の規模の集落で稲作をして営んでいたそうです。弥生時代は農耕社会であったとされます。

その後、古墳時代飛鳥時代と時は経ち、現代に至る。

 

土の中から出てくる「遺跡」に魅力を感じるのは当たり前ですね。